清楚で可憐なグループカラーを象徴する彼女のことをもっと知りたい。「FLASHスペシャル 2015GW号 (FLASH増刊)」では彼女の生い立ちから現在までを追った。
生田絵梨花が産声をあげたのはドイツ。今から18年前のことだった。
「5歳までしかいなかったので、ドイツの記憶は断片的にしかありません。覚えているのは街全体で盛り上がるお祭り。日本でいう提灯のようなものを持って、大行列で練り歩くんです。イースター(復活祭)では、本物の卵が道端に隠されていて、それを見つけると大人にご褒美をもらえるんです。当時はドイツ語もペラペラだったけど、すっかり忘れちゃった。お家うちでは日本語で幼稚園ではドイツ語というバイリンガルでした。4歳でピアノ教室に通いはじめたきっかけは、お姉ちゃんの真似(笑)。厳しくなかったから、ひたすら楽しんでいました」
父の仕事の都合で日本に帰国したのは5歳のときだった。ピアノを続けることにした。
「ドイツでは楽しめたんですが、日本の教室はスパルタでしたね。毎日何時間か練習しないといけないんです。子供ってサボりたいじゃないですか。練習しないと教室がある日に弾けないから、バレちゃうんです。お家ではお母さんの監視もあったから、気が休まりませんでした」
小学生になっても鍵盤の前に座り続けた。毎日2時間、試験の前になると一日中。大会前になると家から一歩も出ることなく十数時間弾き続け、笑顔の作り方さえ忘れた。
「弾きすぎると前腕が腱鞘炎になるんです。スポーツ選手が筋肉痛になるとつける薬を、私も塗っていました」
誰が聴いてもうっとりする腕前を誇る生田だが、本人はいたって謙虚だ。
「いろんなコンクールに出る前に乃木坂46に入ったんです。だから、自分が【ピアノが得意です】なんて言っちゃっていいのかなって、今でも思います。私以上に練習している人がいるのはわかっているので、本当に申し訳ないです」
ピアノの猛練習を積んでいた中3の夏、人生の岐路に立たされた。
「音楽が好きだったので、ミュージカルをよく観に行っていたんです。アイドルになりたいというよりは、ステージに立って歌うことに憧れていました。そんなときにAKB48の公式ライバルができるというニュースを目にしたんです。1期生ということにも惹かれました」
クラシックバレエを10年間習っていたし、学校にも真面目に通っていた中学生にとって、突然始まった芸能生活は戸惑いの連続だった。
「学校の授業には“正解”があるじゃないですか。でも、この世界の“正解”は人との違いを出すことだったり、工夫することだったりするんです。はみ出すことが“正解”だから、はみ出さない人生を送ってきた私は、どうしていいかわかりませんでした」
写真/Takeo Dec.、スタイリスト/八杉直美、ヘアメイク/白石久美子、衣装協力/Nina mew
そして…インタビューの続きとその他の撮り下ろし写真は…「FLASHスペシャル 2015GW号 (FLASH増刊)」に掲載!
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乃木坂46 生田絵梨花プロ並みピアノ演奏の原点
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