市川美織はNMB48に移籍して成功したのか?

2010年6月にAKB48の10期研究生としてAKB48としてのキャリアをスタートした市川美織。

デビュー当初から強烈なキャラであり、自己紹介で「フレッシュレモンになりたいの!」と誰も予想が付かないようなキャッチフレーズを言い出し、聞いていたファンもメンバーも唖然とさせていた。しかし本人はそんなことは気にすることもなく、常に「フレッシュレモン」をアピールし、最初は興味を持たないファンも多かった中で気が付いたら「レモン」というキャラクターを自分のモノにし一気にファンのハートを掴んでいった。

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市川はあっという間にマスコミにも知れ渡るようになり、ステージデビューから1年も経たないうちに「ヤングジャンプ(集英社)」とのコラボレーションで出来上がったユニット「YJ7」のメンバーに研究生ながら抜擢され、さらにドラマ「マジすか学園(テレビ東京系)」にレギュラー出演も決まり、注目を浴びAKB48に新しい風を吹かせていった。

そんな市川の勢いは止まらず2011年5月末に正規メンバーに昇格。所属先は新チームとして発足されるチーム4へと決まった。そして翌月に行われた選抜総選挙では、初のエントリーにも関わらず39位という好成績を残し、アンダーガールズに選出された。順風満帆に市川は上へと突き進んで行ったのだが、次第にキャラクターのマンネリ化などもあり、しかもイジられキャラということで市川の特殊なキャラをイジって面白さを引き出せるメンバーがほとんどいない状況となってしまった。それでも総選挙では毎年のように圏外にはならずランクインはしているが、ファンの間でも今のままでは厳しいという意見も多くなってきた。

そして、2013年に大きな転機が訪れた。市川はNMB48のチームNへの兼任移籍が決まった。NMB48では、これまでのキャッチフレーズだった「フレッシュレモンになりたいの!」を「フレッシュレモンになりたいねん!」と関西弁に変えての自己紹介になり、いきなりメンバー全員に突っ込まれ、笑いが巻き起こった。これまでのAKB48とは違い、常に突っ込んでくれるNMB48のメンバーが一緒ということで、自分らしさを存分に発揮して、確実に新境地を切り開いた。どうやらNMB48の水が合ったようで、2014年に行われた「AKB48グループ大組閣祭り」にて、AKB48からNMB48へ完全移籍が決まった。NMB48に新たに加入することで、市川はさらなる進化を遂げていった。これまで通りボケることもしているが、全体的に年下メンバーが多いチームということもあり、トークではMCとして進行をすることも多くなり、しっかりトークをまとめられるように成長。市川は非常に真面目な性格で勉強熱心なところがあり、自分がどう振る舞えば良いかをしっかり考えている。元々はAKB48加入前からテレビが大好きで、バラエティ番組や情報番組、ドラマなど多くのジャンルに興味を持ち知る人ぞ知る、テレビウォッチャーとしての知識と経験を積んでいる。今はテレビ関連の知識を話す機会はあまり無いが、AKB48グループの中でも誰よりも突き抜けた知識を持っているので、今後はテレビウォッチャーという新たなフィールドで大きく飛躍する可能性もある。これからどこまで進化するのか一皮剥けた市川に期待したいと思う。きっとさらなる進化が見れることは間違いないだろう。
(ブレーメン大島)
写真=(C)AKS

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