ウォンビンはなぜ“オリンピック俳優”になってしまったのか



映画界でウォンビンは、依然として一番キャスティングしたい俳優として挙げられる。“もしかしたら”という気持ちで送られる駄作のシナリオまで合わせると、今も1ヶ月に平均10冊以上の台本が彼に渡される。30代の男性が主人公のアクションと恋愛物、ノワールはほとんど最初にウォンビンにオファーが入ると言っても過言ではない。

彼がこれほど脚光を浴びる理由は何だろうか。立派な身体条件とマスク、演技力を備えた主演級俳優は多数いるが、ウォンビンのようにオーラまである俳優は多くないためだ。俳優の購買力に直接繋がるオーラを人為的に作ることは難しいという点を考えると、ウォンビンは非常に恵まれた男だ。


しかし、このような幸運児が映画界では“検討中”の俳優とも呼ばれている。シナリオをもらったら検討するだけで、気軽に出演を決めないため、このような喜ばしくないニックネームが付いたという。ある映画会社の代表は「投資とヒットが保障されるという点でウォンビンはとても魅力的なカードだ」とし、「しかし、なぜかシナリオを書き直してみようという提案もせず、ただ『しない、できない』という答えだけを繰り返している」と愚痴をこぼした。


「アジョシ」が2010年作なので、空白期間は4年が過ぎた。デビュー作のドラマ「コッチ」(00)以来、彼が出演した映画はわずか5本にすぎない。「ガン&トークス」(2001)「ブラザーフッド」(2003)「マイ・ブラザー」(2004)「母なる証明」(2009)「アジョシ」(2010)が全てだ。スター性を基準に、軍服務期間を除いてもあまりに少ない本数に違いない。


ウォンビンの長い冬眠を見る多くの映画関係者は異口同音に「理解し難い」と残念がっている。良いスペックと芸術的才能をどうしてあんなに腐らせているのか分からないという反応だ。平均4年ごとに一つの作品に出演するため、「五輪俳優か」と冗談を飛ばす人もいる。


もちろんこれといった作品がなく、色々と条件が合わないのに義務として出演を強行する理由はないだろう。せっかく力を入れて撮った映画が大衆に背を向けられたり、駄作と評価されるよりは、逆に何もせずにいた方がマシだと思うかも知れない。少なくともウォンビンが大衆の低い評価を恐れ、活動を躊躇しているとは思えない。


演技力への限界と自信不足が自らを萎縮させているのではないかという意見もある。色々と良い資質を備えているのは事実だが、依然としてはっきりしない発音の台詞と、常套的で機械的な演技のパターンなどがこのような推測を裏付ける。1~2年ごとに旺盛に活動することで自身の欠点を露にするよりは、最初から4~5年ごとにカン・ジェギュ、ポン・ジュノのような大監督とだけ作業するのがロングランの秘訣だと考えることもできると思う。


それに、やや説得力は落ちるが、信じてたいた人から裏切られたことが心の扉をさらに固く閉ざすきっかけになったという話も聞こえる。強く信頼していた元所属事務所の役員の横領・背任を後になって知ったウォンビンと彼の家族は唖然とするしかなかったという。好意を見せながら接近してくる人々をひとまず警戒し、アレルギー反応を見せるほど、彼には当時の裏切りの衝撃の余波がかなり残っているだろうと思われる。


ウォンビンがいつ、どのような作品でカムバックするかは分からないが、人々は少なくともオリンピックよりはもっと頻繁にウォンビンを見たいと思っている。創作者にとって自身の限界を少しずつ乗り越えていくことほど辛くて厳しいことがあるだろうか。確かなのは、プロの役者が不断に成長板を開き、限界を乗り越える姿を見せるとき、人々の関心と拍手喝采が絶えないという事実である。



元記事配信日時 : 2014年12月25日16時12分 記者 : キム・ボムソク




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