シン・ヘチョル
「振り返ってみると私には音楽がそのようなものだった。今になってそう思う。死ぬ瞬間に『僕は音楽にすべてを捧げた』と言えるだろう。今は」(2014年7月7日、10asiaとのインタビューで)
まだ実感が湧かない。誰も予想しなかった死だった。虚しかった。その虚しさよりも大きな怒りが込み上げた。彼は命を落としてまで私たちに大きな響きを残し、今でもなお残している。彼のように歌い、彼のように話す人は今までにいなかった。彼と同じ時代を生きたことは祝福であり、彼のラジオを聞きながらくすくす笑っていたことは思い出となった。彼が残した音楽と逸話、そして色んなお話はこれからもずっと私たちのそばに残って、人生の座標になるだろう。シン・ヘチョルの不意の事故でこの世を去って49日が過ぎた。
キム・テウォン
ヘヴィメタルキッズだったシン・ヘチョルは、ギタリストを夢見ていた。1986年、シナウィ、プファル(復活)、白頭山(ペクドゥサン)、H2Oなどがヘヴィメタルの第1世代バンドとしてパゴダ劇場を中心に人気を得ていた当時、シン・ヘチョルはキム・テウォンのギターを運びならがらチューニングし、時間があるたびにギターを学んだ。ソン・ムヒョン、オ・テホ、シン・ユンチョルなど、同年代のギタリストたちがヘヴィメタルの立地を固めた時、シン・ヘチョルは遅れをとっていた。結局、シン・ヘチョルはヘヴィメタルバンドたちがアマチュアの歌謡祭と思っていた大学歌謡祭に出て、大賞を受賞する姿をプファルのキム・テウォンがビリヤード場でテレビで見ていた。キム・テウォンはシン・ヘチョルの受賞を快く祝ってくれたという。シン・ヘチョルは死ぬ前にキム・テウォンとの共同作業を考えていた。シン・ヘチョルとキム・テウォンが共に作るアルバムは、果たしてどんなアルバムになったのだろうか?
N.EX.T
シン・ヘチョルは音楽的にも大衆的に韓国で最も成功したロックスターであり、彼のバンドN.EX.Tは今のアイドルグループ以上に人気を博していた。ロックバンドとして前代未聞の人気を得たN.EX.Tは90年代当時、他のグループには考えられない資金をアルバムとコンサートにつぎ込んだ。ロックバンドたちの理想は高いが音楽的に具現はできず、また音楽的に完成度は高いが、ファンが多くなかった時のシン・ヘチョルはN.EX.Tを通じてこのすべての苦難を乗り越え、新たな世界を見せたのだ。12月27日にソウル城北(ソンプク)区安岩洞(アンアムドン)にある高麗(コリョ)大学の和汀(ファジョン)体育館にて開催されるN.EX.Tのコンサートには元メンバーであるギタリストのチョン・ギソンとN.EX.Tの全盛期をリードしたドラマーイ・スヨン、そしてべーシストのJADE(本名:パク・ジョンデ)、キーボードのキム・グホなど、N.EX.Tの1~7期のメンバーたちが共にし、故人の意思を受け継ぎ魂を称えた。
LOUDNESS
日本のロック界を代表する伝説的なヘヴィメタルバンドで米国ビルボードのアルバムチャートにランクインするなど、世界各国に熱狂的ファンを抱えている。シン・ヘチョルもLOUDNESSのファンとして大きな愛情を示した。2005年、LOUDNESSの来韓公演の際、シン・ヘチョルがゲストとして出演し、彼らの縁が始まった。2010年には共に韓国放送に出演し、当時LOUDNESSの出国の際、シン・ヘチョルが自ら運転して空港に行き、彼らを見送った。シン・ヘチョルとLOUDNESSのメンバーたちは兄弟のように深い信頼関係を築き、訃報に衝撃を受けたLOUDNESSのギターリスト高崎晃氏は涙を流したという。高崎氏は自身の名前で葬儀に花輪を送り「シン・ヘチョル氏のロックスピリットは忘れられません。永久不滅です」と哀悼のメッセージを届けた。
ソ・テジ
90年代の音楽界の進歩とメッセージをシン・ヘチョルと共にしたミュージシャン。また、二人は親戚関係でもある。90年代の若者たちはシン・ヘチョルとソ・テジの音楽と歌詞で討論を行い、学校の文集に深刻な文章を書いたりした。その時はそうだった。「彼は音楽人として私に大きな山のような存在でした。純粋な魂と真実で私たちを悟らせた本物のミュージシャンでした。何も言わなくても、静かにそばに寄り添って肩を叩いてくれた心温かい兄さんでした。多くの方々がシン・ヘチョルという大きな名前を、そして私たちの青春時代にたくさんの思い出と美しい音楽を残してくれた彼の素晴らしい名前をこれからもずっと忘れないと思います」というソ・テジの追悼文は、シン・ヘチョルを愛したすべての人に当てはまる話だった。
ユ・ヒヨル
ユ・ヒヨルが大衆に知られ始めたのは、シン・ヘチョルが深夜に進行していた番組であるMBC FM4U「FM音楽都市」にレギュラーとして出演してからだ。当時、ユ・ヒヨルは才気溢れる話術と音楽の知識で愛聴者たちを魅了し、シン・ヘチョルの後任として1997年10月から2001年3月まで「FM音楽都市」のMCを務めた。当時、スター級の芸能人たちがラジオDJを務めることが慣行だったことから見た時、ユ・ヒヨルがDJを務めることは少し破格的なことだったが、彼はシン・ヘチョルが推薦したおかげだった。当時2人は「Here I Stand For You」で「ヒヨル、僕、君のおかげで立てたよ」という冗談を言っていたという。tvN「SNL KOREA」でシン・ヘチョルが妻に愛嬌を振り撒いたら、ユ・ヒヨルはシン・ヘチョルにビンタをした。これは、台本になかったアドリブだった。放送前にシン・ヘチョルはユ・ヒヨルに「僕、イメージが壊れてもいいから楽しくやろう」と先に話してくれた。ユ・ヒヨルはシン・ヘチョル兄さんのカムバックを後押しするために大胆にビンタをしたのだ。
ユン・サン
1996年にシン・ヘチョルとユン・サンが一緒にNodanceという名前で発表したアルバム「ゴールデンヒット」は2人の天才がタッグを組んだ記念碑的なアルバムだった。90年代半ばに2人はアイドル歌手と同じくらいの人気を博していた。このアルバムは「ゴールデンヒット」というタイトルのように大衆性を持つアルバムではなかった。2人の熾烈な音楽的実験が詰め込まれたアルバムは「祈り」「疾走」など、当時としては破格的な電子音楽を残した。シン・ヘチョルは生前のインタビューで「ユン・サンは天才だけど、自分だけの世界が強すぎる天才だ」と話していた。Nodanceで活動していた時もこれまでのスタイルと違う音楽をやってみたかったが、結局ユン・サンは自分のスタイルを捨てることができなかったという。このアルバムで最も大衆に知られた歌は、ガールズグループS.E.S.がリメイクしたユン・サンの曲「駆けっこ」だった。ユン・サンはその後、SMエンターテインメントの多数のヒット曲を作った作曲家でもある。
キム・ドンリュル
シン・ヘチョルはキム・ドンリュルとソ・ドンウクのデュオ展覧会のアルバムのプロデュースを務めた。シン・ヘチョルとキム・ドンリュルは「大学歌謡祭」の先輩後輩の関係だ。シン・ヘチョルは展覧会の1stアルバムをプロデュースし、キム・ドンリュルにアルバムをプロデュースするテクニックを教えてあげたという。1stアルバムに収録された曲「旅行」でシン・ヘチョルとソ・ドンウク、キム・ドンリュルの会話が出てくる。「生ブラスサウンドが必要だ」(ソ・ドンウク)、「生ブラスはお金がかかる」(キム・ドンリュル)、「お金のことは心配しないで、やりたいことをやりなさい」(シン・ヘチョル)と交わす会話も出てくる。キム・ドンリュルが2ndアルバムのデモテープを持ってきた時、シン・ヘチョルは音楽ではなく装飾に集中した結果だと、厳しく評価したようだ。「基本に戻りなさい」と言われ容赦なく追い返されたキム・ソンリュルはもう一度作業を行い、展覧会の2ndアルバムは90年代を代表する名アルバムとして評価されるようになった。
ユン・ウォンヒ
シン・ヘチョルの妻。以前、ゴールドマンサックスに勤務し、ミスコリア大会に出場した経歴もある。シン・ヘチョルは恋愛中にユン・ウォンヒさんががん闘病中であることを知り、彼女の世話をするために2002年9月29日、秘密裏に結婚式を挙げた。また、シン・ヘチョルは妻のための音楽も作った。2007年に発表したジャズビッグバンドアルバム「The Song For The One」は、妻に捧げるアルバムだった。6thソロフルアルバム「Part.1-Reboot Myself」のタイトル曲「The Song For The One」は、シン・ヘチョルが妻ユン・ウォンヒさんに出会った頃から約15年に渡って少しずつ完成させた曲だという。シン・ヘチョルはこの曲を通じて、今、ユン・ウォンヒさんを愛する自身の気持ちがどれほど熾烈なものなのかを説明しようとしたという。そのような理由で「Promise Devotion Destiny…」でのナレーションは、この単語を死ぬ時まで守るという悲壮さが「Here I Stand For You」より「The Song For The One」で3倍以上強く感じられる。
私たち
彼の最期を見守った私たちが残った。その中には、心で残念な気持ちを伝えたファンがいて、葬儀場の前でロウソクに火を付けて音楽を聞きながら故人の最後の道を見送ったファンもいる。葬式の最終日である10月30日夜、ソウル風納洞(プンナプドン)にある峨山(アサン)病院の葬儀場の前の片隅では故人を送る小さな追悼行事が行われた。ロウソクで明るく照らしていた追悼行事の現場には、シン・ヘチョルが生前に行った活動の様子が盛り込まれた写真やN.EX.T、Nodanceなどのポスターが飾られた。「Here I Stand For You」などシン・ヘチョルの曲が流れる中、ファンは涙を流して故人を哀悼した。私たちはいつまでも彼の音楽を聞いて、彼を思い出すだろう。そして、私たちは故人を死に追いやったS病院の蛮行を決して忘れない。
元記事配信日時 : 2014年12月15日00時00分 記者 : クォン・ソクジョン、写真 : ペン・ヒョンジュン、「SBSテレビ芸能」スクリーンショット、KCAエンターテインメント、翻訳 : チェ・ユンジョン、ナ・ウンジョン
【PEOPLE】シン・ヘチョルという人物 10asia
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